adhdbenki’s blog

adhdの僕の実体験を赤裸々に語ります!お母さんとの関係や中学受験の話などよろしくお願いします

お金持ちは本当に幸せか?いい大学に入ることは幸せか?

タイトルにもある通り、お金持ちは本当に幸せなのか? 
また、現在僕は早慶もしくはそれ以上の国公立大学を目指して真剣に勉強しているのですが
いい大学に入れば幸せになれるのか?
という疑問を勉強しながら思ってしまったので僕の考えをここにまとめます 

 

お金持ちになる為にいい大学に入るのか?お金持ちは幸せか?


端的にいうとお金持ちになる為にいい大学に入るわけではないと思います。

自分のしたい事でお金を稼ぐ為に入るのだと思います。綺麗事かも知れません

でも、自分の好きな事以外で長い会社人生を全うするのはあまりにも損です。

やはり、少しでも自分に向いていることや興味のある物に就職し、それなりにお金を貰うのが理想なのだと僕は思います。

また、それがいい大学に入る一番の目的だと思います! 

その人生の方が幸せなのだと思います。 

 

お金持ちは幸せか?


結論から言うとお金持ちだからと言って幸せではないと思います。
結局、幸せな人は貧乏でも幸せだし
不幸せな人はお金持ちでも不幸せなのだと思います。
つまり、不幸せな貧乏がお金持ちになっても不幸せだと言うことです。
一時の幸せは手に入るかもしれませんが、、

お金持ちになり毎日美味しいものを食べる
でも毎日食べる美味しいものとは本当に美味しいのか?
美味しさとは日々との相対的に感じる物だと思います。
いつも美味しいものを食べているとそれに慣れるだけ、お金持ちになっても高い生活水準に慣れるだけだと思います。
高い生活水準を送る日々に慣れてしまえばそれを幸せだと感じる事はできなくなるのです。

現に渡部が不倫をしたのも
佐々木希が嫁だという事実に慣れてしまっていたから それ自体が幸せだと忘れてしまっていたからだと思います。


人は非日常に幸せを感じるのであって
非日常が日常になった時点でそれはもう幸せではないのです。


そもそも一般市民にもそれは言えて
アフリカから見ればどれだけ贅沢な生活を送れているだろうか?
無事に家族と会える、友達と遊べる、
それだけでとても幸せなのだと僕は思う。

 

結局、些細な日常がとても尊い幸せでそれに気付ける人が本当の幸せものだと思います
どんなに高いディナーも子供の作ったおにぎりには敵わないのですから

 

+α

なぜ僕は勉強するのか?
最初に述べたように好きな事でお金を稼ぐ為というのもありますが
高校二年生の僕にそんな綺麗事だけで頑張れるわけはありません笑
僕が勉強をする理由は
周りの人達、同級生が僕以上に一生懸命やっているからです。東大に入るだろう人達と共に過ごす日々は刺激的です。
また、同級生に勉強で勝つと嬉しいし負ければ悔しいです。
あと親に私立中高一貫に入れて貰えている以上成績を残さねばという気持ちもあります

何故、ADHDは掃除ができないのか?掃除上手になるための具体的な解決策!

何故、ADHDは掃除ができないのか?

片付ける事は可能なのか?

具体的な解決策書いてありとてもおすすめです!

 

私は、ADHD注意欠陥多動性障害)です。ADHDの代名詞といえば「片付けられない人」といわれるぐらい、一般的にADHD特性を持つ人間は整理整頓と片付けが苦手な人が多いイメージがあるのではないでしょうか?

実際、かつての私も例に漏れず、片付けが苦手な人でした。ですが、いまの私は片付けられる人です。以前は、部屋の床など全くみえず、ゴミは散らばり、押入れのなかは天井近くまでぐちゃぐちゃに物が詰め込まれ、油断をすれば雪崩を起こすような部屋で暮らしていた私が、スッキリ部屋で生活できるようになった方法と考え方を、ちょっとだけ文章化してみることにしました。

ちょっとだけと言いつつ、結構長めの文章ですが、最後まで読めば、いますぐ部屋の片付けをはじめてみたくなるかもしれません。

目次
①なぜADHDは片付けができないのか
②『考えない片付け』が向いている人のタイプ
③自分の苦手を把握しよう
④印刷して使える!捨てるためのお役立ちツール
④-2 コレクションアイテムについての考え方(追記
⑤短期記憶が弱い人のための集中ゴミ捨てシステム
⑥目指せ!極めろ!手抜きの片付け
⑦さあ、片付けの旅へ


①なぜADHDは片付けができないのか
質問.ADHDはなぜ片付けができないのでしょうか?
答え.なぜならそれがADHDだからです!
…なんていうのは、答えになっていませんよね。でも実際、そこで立ち止まってしまっている人は多いのではないでしょうか。

これはADHDの私が自己分析でたどり着いた、ADHDが片付けができない理由だと感じているものです。(私と同じADHDの診断を持っていても、個人差はあります。一例および一面として受け止めていただけると幸いです。)

激しく飛びまわるたくさんの情報が、イス取りゲームをする脳内

ADHDである私の頭の中には常にたくさんの情報が混在し、それぞれが鮮やかに激しく飛び交っています。そして、その隙間には処理をしきれない情報がノイズのように雑音として渦巻いています。

 

ADHD特性を強く持つタイプが、注意力散漫で忘れっぽく衝動的なのも、この脳内の大量の情報とノイズに原因があります。

人間の意識は常に何かについて考えています。思考の主役の椅子に座ることができるテーマは主にひとつしかなく、必要に応じてその椅子に座るテーマを入れ替えながら、人は生活をしています。

ADHDの私の場合、その椅子に座るテーマを自分の意志で決めることが困難です。私が何かについて考えている間も、他の情報が激しく椅子の周りを飛び回り、あっというまに主役の椅子を奪ってしまう…。もちろん、ADHDのではない人にも似た感覚を持つ人はいるでしょう。ですが、私のそれはとても激しく、私の意思やスケジュールを頻繁に無視するのです。椅子に座るテーマが変わるたび、私はそれらに強く反応せずにはいられません。それが散漫な注意力や忘れっぽさ、多動衝動として表れます。

判断を先延ばしにすることで、脳の疲労を回避している

ADHDの特性のひとつに先延ばし癖というのがあります。いつまでたってもやるべきことにグズグズと取り掛かろうとせず、普段の衝動的な行動とは裏腹に、何かを決めるべき時になかなか決断しようとしない…。

人生は判断と決定の連続です。どんな行動をするときも、人は五感を刺激する膨大な情報の中から必要なものだけを取捨選択し、判断と決定をしています。

ADHDのように大量の情報とノイズが脳内を駆け巡っている場合、五感を刺激する膨大な情報の中から必要なデータだけをピックアップする作業は、かなりの労力を伴います。考えようとしても、脳内を飛び回るノイズのような情報が邪魔になってなかなか思考が整理できないからです。ADHD特性を持つものにとって、これはとても脳の疲れる行為であるため、ついつい先延ばしにしてしまうのです。

一瞬で大量の判断を求められる「片付け」という行為

片付けや整理整頓というのは、日常生活の中でも特に判断と決定の連続行為を伴うものです。いつ片付けるのか、どこに置くのか、まだ使うのか…近い未来の予定も含め、たくさんの情報を使って、一瞬で決定しなくてはいけません。

しかも、雑然とした部屋を一気に片付けようとすれば、これを休みなく繰り返さなくてはいけない。混線した脳内で情報整理に苦労しているADHDにとって、これはとてつもなく疲れることです。

 

私自身も実際、脳内でこのようなたくさんの処理を必要とする場面では、あっという間に頭がずっしり重く感じ、めまいが始まります。それでも必死に考えるのですが、その間に話しかけられると余計に混乱してしまい、ひどくイライラして苦しく感じます。ADHDが片付けの途中で作業を放棄しがちなのも、このような脳内ノイズと混線による苦しさやストレスが背景にあるのです。(※投薬によって、この脳内ノイズがマシになる場合もありますが、効果は人によります。)

これから説明する『考えない片付け』は、思考する手間を極力省略することでこれらの苦しさをできるだけ緩和して、ストレスを減らした片付けの方法です。

②『考えない片付け』が向いている人のタイプ
・部屋に物が溢れて床が見えない
・なんでも先延ばしにする癖がある
・片付けの途中で他のことに気をとられてしまう
・物を捨てるのが苦手
・とにかくズボラで怠惰
・難しいことはよくわからない(この場合は一気に⑦まで飛ばしてもOK)
『考えないお片付け』は、上記のタイプの方に向けた、徹底的に手間と労力と思考の余地を削った片付けテクニックです。「ここまでしないといけないもの?」と思う方は、きっと、この片付け術が必要のない方でしょう。この記事の内容を実践する必要はありません。

でももしあなたの人生に少しの余裕があるのなら、世の中にはこれが必要な人も存在するのだということを、頭の隅に置いていただけると嬉しいなぁと思います。

③自分の苦手を把握しよう
片付けの出来ない人は、整理整頓や片付けという作業の中で具体的に『なに』が出来ないのでしょうか?まずは、私が思いついた『片付け下手あるある』をいくつか上げてみます。

・元に戻すのを先延ばしにしてしまう。
・自分がそれを使ったことを忘れてしまう。
・またすぐに使うつもりで、そのまま忘れてしまった。
・どこかに置いて、そのまま見失った。
・捨てるかどうかを、迷って決められない。
・視界から消えると記憶からも消えるので、片付けるのが怖い。
・物が多すぎて自分が管理できる量を超えている。
・きれいな部屋で生活をした事がない為、片付けるメリットがわからない。
他にも個人によって様々な事情があるでしょう。

こういう自分の『苦手』や『出来ない自分』を、情けなく思っている人もいるかもしれません。子どもの頃から、だらしがない奴と言われた経験をしている人も少なくないのではないでしょうか。

『なぜADHDは片付けができないのか』で説明したように、脳の特性で、どうしても片付けが難しい場合もあります。出来ないものは出来ない。それがあなたで、それが私です。自分を責めても情けなく思っても、一切解決はしません。怒られても否定されても、意味はないんです。だからね、もうこれ、開き直ってしまおうじゃありませんか。

苦手なことは開き直って、それが自分だと認めた上で、出来ない自分がどうやったら出来るようになれるのか、発想を切り替える。自分を責めるのではなく、できるための手段を整えるのが解決への一番の近道です。

私の脳は、いまでも情報整理が苦手で、なんでもすぐに部屋の中で見失ってしまうままですが、でも大丈夫。片付けはできるようになりました。

ここからは、私が汚部屋脱出してきれいな部屋をキープし続けている考え方をまとめた、実際に今日からできる『考えないお片付け』実践編です。

④印刷して使える!捨てるためのお役立ちツール
スッキリした部屋を実現するためには、収納を整える前にまずは不用品を徹底的に処分しなければいけません。とにかく物を捨てる時に重要なポイントは、「考えないこと」。これを簡単に実現するための印刷して使えるツールを3つ用意しました。

 STEP.1『迷ったときの取捨選択判断シート』

人は物を捨てるとき、判断することから逃れることは出来ません。しかし、
脳内にノイズと混線を抱えているADHDな私にとって、ひとつずつ考えて判断することはとても労力がいることです。片付けの最中、物を手に取るたびに、それがまだ使えるものなのか、捨てていいのかだめなのか…判断することがとにかく苦しくて、すぐに疲れてしまいます。

だから、私は負担を減らすために、捨てるための徹底したルールを自分に課しています。1つ目は、それをまとめた『迷ったときの取捨選択判断シート』です。これからは手に持った物の処分に迷ったらこのシートを見るだけ。慣れてしまえば、すぐにシート無しでリズミカルに物を捨てることができるようになります。ぜひ印刷して使ってみてください。

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STEP.2『ゴミ分別 判断シート』

次に、捨てられない人の捨てられない理由の大きなひとつ。ごみの分別が苦手で起こる「これは何ゴミだ…?」問題。

それを解決するためのツールが、2つ目の『ゴミ分別 判断シート』です。捨てようと思ったものが何ゴミかわからなくなったら、この質問に答えるだけで解決できる便利ツール。しかも、ゴミの日を忘れがちなうっかりさんのために、ゴミ出しの日を記入できる欄も作っておきました。ゴミ捨て方法は自治体によって違うので、印刷後にカスタマイズして使ってくださいね。

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【使い方】
このシートを印刷したら、自分の自治体のゴミ回収ルールに従って空欄を記入します。ググってもよくわからなければ、自治体のゴミ回収窓口に連絡して聞いてみましょう。多くの自治体では、ちゃんと答えを用意してくれています。記入が終わったら目につくところに貼りましょう。

STEP.3 デモデモダッテになった時に使える『迷ったときのゴミ箱inへの道』

捨てられない人がやってしまいがちな、置いておくための言い訳…。わかる、わかるよ、気持ちはわかる。そこで3つ目は、そんな人の背中をゴミ箱に向けて猛プッシュするQ&Aを用意しました。片付けの途中で捨てるかどうかの判断に迷ったとき、「とりあえず置いておこうか…?」と思ったときはこれを見て、豪快にゴミ箱に投げ込みましょう。

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特に、物を捨てられない人がハマりがちなのが「あとでメ○カリに出そう」と「誰かにあげよう」です。メ○カリに出すという作業も、誰かにあげる作業も、いくらで?誰に?いつ?どうやって?…判断と決定を大量に上乗せする行為です。一番我々タイプが苦手なことではないですか。

まだ使えるのにもったいない…そんなセリフもよく聞きます。ですが、ADHDのように脳内リソースが小さく限りのあるタイプにとって、本当にもったいないのは、不要な判断を上乗せして、その少ない脳内のリソースを消費してしまう事です。さあ、捨ててしまえ✨

④-2 コレクションアイテムについての考え方

 

記事の公開後「趣味のアイテムは?コレクションは捨てられないしどうすれば?」という声をDM等で複数頂いたので、私のコレクションアイテムに関する考え方を。

コレクションアイテムは、自分が心から愛したものですし、自分自身を形作っているものなので、処分の判断は一番最後に回します。私も今はお休み中の過去のコレクション(ブライスとかリカちゃんとか食玩とか)は大切に保存してありますし、進行形の推しアイテム(ガチャとかガチャとかガチャとか)はせっせと集めています。家族のコレクションも同様です。

しかし、どんな趣味に対しても個人のお財布事情で予算の限界があるように、どんなに好きなものでも、自分の持つスペースや管理能力のキャパによって必ず収集量に限界はきます。そこで、私は趣味のものに対しても、手元に置く上限を決めています。具体的には

・過去のコレクション → ダンボール1箱程度に厳選して収納の奥底に
・アルバムや思い出の品 → ダンボール1箱程度に厳選して収納の奥底に
・進行形のコレクション → 手の届く場所に日常の生活や片付けの負担にならない範囲で
こんな感じ。ただ、これは我が家のスペースと私の管理能力の限界量がこの程度というだけなので、趣味の内容や個人の環境によって上限の差はいくらでもあると思います。判断のポイントは、2つ。

・自分が隅から隅まで手をかけられると思える量であるかどうか。
・生活の負担になっていないかどうか。
かつて、どんなに好きで手に入れたものでも、雑然と積んで見向きもしなくなってしまったものは、日常生活の負担になっているかもしれません。生活が苦しければ、いまの推しにも全力で向きあえないですし。

好きなものを無理に手放す必要はないけど、好きなものを集めすぎて自分自身を苦しくしてしまっているのなら、そのときはちょっと、量とか置き場所とか集め方とか…付き合い方の見直しをするタイミングではないでしょうか?(苦しくないなら大事にしようぜ👍)

続きhttps://note.com/itacchiku/n/n349c01966d1d

 

十週間で英検二級に合格する方法 中3で合格した勉強法と教材

前置き

私ごとではありますが中3で英検二級に合格しました。

タイトルにもある通り十週間で合格するとなると「正しい努力」が必要です。

私が実際に行った「正しい努力」を紹介します。

私及び私の周りの人達も同じ勉強法と教材で合格しているので自信があります。

1 必要な能力

2単語の勉強法と教材

3文法の勉強法と教材

4ライティング、使える文法の増やし方

で構成します。

 

必要な能力

英検二級を受かるために必要な能力は圧倒的に単語力です。

イデオムなども出るが運ゲー感が強くあまり得点にもならないので単語に時間を割いた方がいいです。

ライティングの配点が高く合否の境目になります。ライティングでの使える文法を増やすことが大切です。

あとは、最低限の文法が有れば受かります。

 


単語の教材と勉強法

 


私が使った教材は「ユメタン1」です!

英語学習で有名な木村達哉さんが作っただけあって優秀な教材です。

このユメタンの単語を一週間で百語覚えます

ユメタンには千語収録されているので十週間でちょうどマスターできます。

また、英検は読みしか出ないので単語の意味を覚えるだけで大丈夫です。

 

一週間で百語覚える方法

 

暗記に関しては1時間勉強するよりも十分を6回やった方が断然効果があります。

人間である以上忘れてしまうのが性です。

忘れても何度も頭に入れる。その繰り返しでマスターして下さい。

1日3回以上、百語のスペルと意味を交互に見るを繰り返して下さい。ただ時間はかけなくていいです一回五分程度で早く浅くを心がけて何度もやってください。

とにかく何度もやることが鍵です。

私はこの方法で覚えました。

 


文法の勉強法と教材

 


文法はファクトブックという教材がオススメです。ファクトブックでは

不定詞編 動名詞編のように分けられているので自分が苦手なところをファクトブックで補填するような形で苦手を克服する程度で大丈夫だと思います。

 


ライティングの使える文法の増やし方

 


実はライティングの配点が高く、合否の境目にもなります。私が自分が使える文法をどう増やしたを紹介しましす。

英語の簡単な文法でいいです。簡単な文法が使われている例文集を買って下さい。

そこにかかれている例文を一週間で五文と決めて毎日何度も文法に意識して読み暗記してください。

暗記すればそれを思い出すだけで文法が自然に使えるようになります!

 


終わりに

これだけのことをしたら英検二級に受かると思います!また、英語の基礎能力も上がるのでどちらにせよ勉強法としてとてもおすすめです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ADHDの僕が中学受験をした話当日の朝に泣いた!?

第3話 ADHDの僕が中学受験をした話

(これはシリーズものですがこの話だけでも十分楽しめると思います!)

僕はスパルタママのもとに生まれた為、小学三年生から中学受験前提の塾(夜九時半まであった)に通わされるのですが(第一照)、、、 

https://adhdbenki.hatenadiary.com/entry/2020/05/21/182443

小学生の僕に勉強をする意味がわかるわけもなく授業中はふざけ先生を大激怒させ、しかもそれがスパルタママにバレるのです!

(第二話参照)https://adhdbenki.hatenadiary.com/entry/2020/05/22/201742

学校でも問題を起こす、お金をかけて通わせている塾の授業ですら巫山戯る

しかも、タイミングが悪く、それがバレるちょっと前に学校で真面目に過ごせ!と怒られたばかりだったので本当に激怒されました。

本当に殺されると思いました。

今思い出しても怖いし、人生で1番怒られたと思います、、、笑

僕のお母さんは僕がADHDであることはとても尊重してくれたのですが

ADHD故の症状にはとても厳しかったのです

学校での問題や忘れ物、とても厳しくしつけられました。汗

そんな感じで通っていた塾なのですが

肝心の成績といえば、、、

進研ゼミの漫画を逆から読んだような感じです。笑

最初は勉強ができたら褒められる的な感じで楽しくやっていたのですがだんだんそれも飽きて来て五年生の頃は本当に勉強していなかったです、、、

ですが、当時勉強の才能はあったらしく

勉強を積極的にせずともそれなりの点数が取れていました

しかし、6年生になって受験が近くなると

5年生のようにもいかず親が友達と遊ぶことやゲームを制限するようになりました、、

当時、僕はそんなにも危機感を感じていなかったので冬休みまで焦ることはなかったのですが

親は違いますよね笑

ゲームを隠す見つけるのいたちごっこばかりしていました笑

共働きのため友達と遊びに行くことを制限できなかったこともあり僕はこっそりずっと友達と遊んでいました笑

それくらい、僕とお母さんとの間にはギャップがあり、そのギャップ故によく揉めていました。

正直、受験期の親子関係的には良くなかったと思います笑

まぁそんな日々を過ごしていると当たり前ですが成績が落ちました笑

6年生の夏休みのテストで志望校判定が80%だったのですが(それでも親は焦っていた)

秋に受けたテストで志望校判定40%を取るのです、、

しかもこれは下から二番目の判定です笑

これにより母の束縛は強くなり

僕のストレスも溜まる一方

揉めることも多くなりました。

その時期になると

友達の家に遊びに行くと母に知らせてもいないのに母から友達の家に電話がかかって来て

そのまま友達の家の受話器越しに怒られるなんてこともありました笑 

あれは本当に怖かった、、、

冬あたりから職場から家に母が電話するようになり本当に友達と遊ぶことが出来なくなりました、、、

しかも、友達は、なんでお前遊べないんだよ!

と言われることも多々あったので

したくもない勉強を母からの圧力と友達からの圧力と誘惑に板挟みの中続けることが本当に辛かったです。

また、冬あたりにある志望校見学会に行った際に

学校先生にこの学校どうだい?と聞かれ

んー校舎が汚い!と正直すぎる回答をし

帰りの車で母にしこたま怒られたのを覚えています笑

で、

そんなこんなで受験当日になります。

受験当日はやはり特別センシティブだったのか、母と妹が揉めてることがとても気になり

このまま揉め続けたら受験に響くと思った僕は、、、なんと、、

 

泣きました!笑

悲しくてとかの理由よりかは、当日の朝に揉めて欲しくないので止めるために泣くと言った少しサイコパス的な理由だった気がします笑

 


悲しくて泣いたわけではない嘘泣きだったので実際に僕の精神にダメージはなかったのですが家族は僕にとても気を使うようになったので結果的に良かったのかな(?)と思います笑


そんなこんなで万全の精神状態で受験に向かい受験会場には友達が沢山いたので友達たち話すうちに緊張もとけ

百%の状態でテストを受けました。

テスト中のアクシデントは

テストが終わった後に名前記入の欄に名前を平仮名で記入し呼び出されたくらいです(結構やばい)笑

もし、試験監督が違えば落ちていたかも汗

 

テストが終わった後、僕はなぜか受かったと確信していました。

ですが、確信通り僕は第一志望の地元で1番難しい進学校に合格するのです!

母は、僕が朝泣きたい瞬間に落ちることを確信し、妹に落ちたらあんたのせいよ!っと言っていたらしいです笑

家族でひどい親だねと談笑したの覚えてます笑

次は進学校でのADHDならではの苦悩を書きたいと思っています!

 

 

 

障害とはなにか?

記事を紹介します!障害とは何かを独特の視点で考えていて面白いです!

 

「障害」とは誰が決めるのであろうか。「障害」とは私なのだろうか。

例えば、私は「ASD」という診断を受けている。公的な空間で私が「ASD」と名乗れば、私は「ASDの人」という認識を得るだろう。

では、「ASDの人」とは何を意味するのだろう。「ASD」という言葉そのものは記号であり、それそのものに意味はないからである。
推測するに、「ASD」という言葉から想起するのは、「コミュニケーションができない、不器用、特定の物事への執着」などだろう。確かに私を構成する要素の一部にそれは含まれる。

だがきっとそれは私ではない。

例えば私は会話を複数人としていた時、私の名前を呼ぶなど私の注意を惹きつけてくれなければ話を聞けない時がある。私は常に何かをしながら複数の何かを考えていたり、行ったりしている。思考が複数に蠢いているのである。その複数の思考の中から目の前の人の話を聞くという思考だけを浮き上げさせることは自分だけでは難しいことがある。

さて、この特性はコミュニケーションの問題が本質なのだろうか。

私はこれを自分の中の過集中の問題であると認識している。つまり、「ASD」ではなくて「ADHD」の方が表現として近いだろう。

また、私は文字が書けない。手を抜いているとかそういう問題ではなくシンプルに文字が非常に汚くなる。どれだけ時間をかけて書いたとしてもそのクオリティはさほど変わらない。だから早めに書くことにしているのだが、これが他者の目線からすると適当に書いているように映るようである。丁寧に書こうとする努力を見せなければ人は納得しないらしい。

話が少しそれた。さて、この要素は「ASD」ではなく「LD」と形容するのがふさわしいだろうと私は思う。

だが、私は「ADHD」とも「LD」とも名乗るのが少し感覚的に憚られる。
なぜならそれは病名として私に与えられていないからである。私の要素であるはずのこの特性たちは他者から名が与えられようと与えられまいと存在しているはずにもかかわらずだ。なぜ私はその要素を社会に存在させることに躊躇するのだろうか。

先ほど述べた私を「ASDの人」という認識を抱いた人々はこのような私の複雑性に気づけない。先ほど私が述べた456文字のコトバたちは「コミュニケーションができない」という15文字の言葉に変換されるのであろう。

そう、この障害という名付けは非常に“コミュニケーション”を円滑にするのである。他者に私を“わかってもらう”ためにこれほど楽なものはない。

だが、そこには一定の窮屈さを伴う。500文字を使って説明しなければならないこの特性を10文字にも満たない言葉に圧縮するのである。そこには私という存在が多分に漏れ出てしまっているだろう。

また、そこには特権を身にまとう後ろめたさがある。生きづらさという感覚はマイノリティと認識している人々のみが抱く感覚ではない。マジョリティと自分を認識している人々も同様に日常の最中でふと感じる感覚だろう。その名前のない感覚をコトバにするのは非常に至難の技となる。
だが、私はそれを簡潔な言葉を発するだけで誰しもに強制的に“私”を認知させることができるのである。それは一種の暴力とも呼べるかもしれない。その暴力を行使する時、それを社会から許容されている(診断されている)状態ならまだしも、私が勝手にその暴力を行使するのならば、後ろめたさとして感覚が立ち現れるだろう。

さて、ここで最初の問いに立ち返りたいと思う。

「障害」とは誰が決めるのであろうか。「障害」とは私なのだろうか。

 

続きは https://note.com/alterna_qreator/n/n855032c635dc

で読めます!

僕自身読ませて頂き面白いなと思ったので是非みなさんも読んでみてください!

 

息子がADHDだと分かった瞬間の母の反応と中学受験の話 第二話

一個前の記事の続きとなっています!

(この記事からでも十分楽しめます)

第二話

ADHDと診断された精神科の帰りの車の中
僕はお母さんと二人っきりでした、、、
僕は落ち込むべきなのかすらわからず戸惑っていた気がします笑 そして僕は母から衝撃的なことを言われます! 続く


そんな僕にお母さんは
「やっぱねー!ADHDだと思ったんだよ」
と明るく言ってくれました。
その他にも、ADHDは弱点じゃ無い!
      あんたには個性がある!
などと、僕を尊重してくれました。

なので、ADHDについて理解のない僕は、、
そのままそれを鵜呑みにしたのです!! 
なので、、、
ADHDへの嫌悪感や自分を障害者などと感じることは無く
逆に自分は特別な存在なんだと漫画の主人公のような気持ちにすらなりました、、、笑
(少し厨二病的な、、、)

今思うと、、、
お母さんは僕を精神科に連れてく前から
僕のことをADHDだと思っていたような、、笑

なので!

僕が診断される前に相当ADHDへの理解をしてくれていたのだと思います。本当に感謝です
(母一押しの本は下記にURLあります)

一旦、母の中で気持ちの整理をした後に診断が出たので、僕を蔑視せず尊重してくれたのだと思います!
息子がADHDだとわかる母の気持ちは相当なものだと思います。
ただ、最初に母が前向きな言葉をかけてくれたおかげで僕は今でもADHDだから出来ないとか
自分を特別に思うことは少ないです!

中学受験編
そんなことがありながらも僕は小学三年生から中学受験を前提とした塾に通っていました

正直、勉強は嫌いでした!
小学生の僕に勉強をする意味が理解できるわけもなく、、、
塾には友達と話しに行くような感覚でした、笑

そんな僕が通う塾には機嫌が悪いと理不尽に怒ってくる先生がいたのです
僕はADHDということもあり、よくその先生に怒られていたし、マークされていました、、
しかも、その先生は女子だけはとても甘く僕はその先生が大嫌いでした!
そして、ある時、第一話でも言ったように大人を舐めていた僕は事件を起こします!

 その先生にいつものごとく怒られたのですが
女子に怒った時は女子がヘラヘラしてるだけで許すのに僕にはキツく当たることに腹が立ち
その先生に怒られるたび「てへぺろ❤️」などとふざけた言動を取り続けたのです!
(今考えたら本当に頭おかしい、、、)
周りの人達が大爆笑していたこともあり、
調子に乗りました、、、
しかも、不運なことにそれがお母さんにばれたのです、、、

続く

僕がadhdだと診断された時の話 第一話

第一話

小学生の時、僕は問題児でした!(唐突)
いつも、忘れ物やおしゃべりをして怒られていたし、しまいには先生を泣かした事も、、

だが、それにはとある理由があった
スパルタママのもとに生まれた僕は、小学三年生から中学生受験を前提とした塾に通わされていたのだ!

そのため、、、

学校の授業は簡単で簡単で仕方なかったのです。

早くして学校の授業に退屈を感じた僕は、先生に対して退屈なことをするつまらない人という認識をしてしまいます。
これが最大のやらかしポイントだと今は思います、、、w それが原因で様々な事件を、、

 

以上の理由で先生へのリスペクトが人一倍少なかった僕は先生達の言う事を守る必要性を感じる事が出来ず、よく反抗していました、、、

plus 当時僕はデリカシーがなく男友達にデブといじるように女子にもデブと言っていた為、無自覚で女子、その親達に嫌われていました😖
↑絵に描いたようなクズ

先程書いた通り、僕のお母さんはスパルタママです😖
僕の学校での悪事がお母さんに伝わる事も多々ありました。その都度こっぴどく怒られましたが僕の行動が変化することはなかった、、

学校のテストは勉強しなくても100点、解けない問題はない、と言う事実が僕の大きな自信になっていたのです

また女子の親達にとても嫌われていたのでお母さんには肩身の狭い思いをさせたと反省しています。

僕が先生を泣かした辺りでお母さんは僕を精神科へ連れてきました。
そして僕は40分ほどのペーパーテストをした後、ADHDと診断されるのです、、、

第二話 ADHDと家族そして中学受験
へと続く!
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